2019.11.12の夜
┈┈あの日の衝撃を覚えておられるだろうか
忘れもしない、忘れることのできない2019年11月12日の夜のことを…
あの日私は普段通り、溜まりに溜まった課題をこなしていた。シャーペンの音と課題をする時に流すトップアイドルである彼らの音楽しか流れていないそんな夜だった。
その夜突然「ピコン」とメールを受信した音が鳴った。ついでに一息しようとメールを開きファンクラブのページでとあるメッセージを読み始めた時に私の昏い昏い夜が始まった。
今更になるが簡単な私の説明をしよう。
私は地方に住むジャニオタ(ジャニーズオタク)である。好きなグループはなかなかにおっさんなのに顔が良すぎる嵐と関ジャニ∞である。特に好きなのが櫻井翔さんと横山裕さんである。
そんな私がある1人の結婚について約半年経ったために気持ちの整理も兼ねてここに記そうとしている。(以下敬称略)
ときは遡ること約半年前、2019年11月12日の23時3分嵐のファンクラブから1通のメールが届いた。内容は遅い時間にメールを送ることの謝罪と二宮和也からメッセージがあることが書かれていた。正直、ここで少し嫌な予感はしていた。それでも、何か大事でもあったのかと心配になりながらファンクラブのページを開きそのメッセージを読んだ。
私はスマホを手から落とした。数分間頭の中は真っ白になっていた。頭が言葉を読み込み始めたのは外で救急車のサイレンの音がした時だった。そこで私は深く考えることを1度やめて、とりあえず色々な情報を入手しようとTwitterを開いた。そこには受け入れたくないことばかりがうつされていた…二宮和也結婚、ニノ結婚、トップアイドル結婚などなど様々な言葉が飛び交っていた。
私はそれを見るのさえ辛くなり1度Twitterを閉じてメモ帳を開いた。そこに書いたのは以下の通りである。
┈
貴方に二宮和也の妻になる自覚本当にありましたか。
貴方が過去にやってきた行動にどれほど影響があったか覚えていますか。
それに対して貴方はどんなことを思ってきましたか。
匂わせのニュースの時は「ファンにバレちゃった」そんな気持ちで終わらせていませんでしたか。
度々でた記事に対して「あちゃー。また撮られちゃった」そんな軽い気持ちでいませんでしたか。
貴方のここ数年の行動は1度でも嵐ファンの、二宮和也が大好きな人達のことを考えて起こしていたことですか。
貴方がはやくはやく二宮和也を自分だけの人間にしたいがためにとってきた行動ではありませんか。
二宮和也の職業を真剣に考えて向き合ってきましたか。
私には「考えた。向き合った。」そう言われても信じることができません。だってあなたが起こしてきた行動は何一つとしてそうは見えなかったから。
二宮和也は嵐でジャニーズでアイドルで俳優でモデル...沢山のことをこなしています。
そんな二宮和也に救われた人だっているのです。人生全てを二宮和也に捧げた人さえも周りにはいるのです。大袈裟って思いますか。そんなことはありません。だって貴方にだってきっと救ってくれた人がいるでしょう。その人のことすごく大切でしょう。それと同じですよ。
アイドルってあんまりプライベートがみえるの良くないんです。夢を与える仕事でしょう。常にアイドルでいろとはファンも求めません。でも、でも、だからこそ大切なことは本人の口からだったり、直筆メッセージだったり、事務所からだったり間違った情報が混ざらない所からしりたいんです。
でも、貴方はそんなファンの心を踏みにじった。そりゃね、恋人があの嵐の二宮和也ってなると自慢したい気持ちもわかります。でも、だからこそ間違った情報やあやふやな情報が流れちゃいけないんです。貴方がしてきた行動はファンを馬鹿にする行動ですよ。たとえ貴方がそうとは思ってなくてもね。現に素直に貴方と二宮和也の結婚を祝っている嵐ファンが、二宮和也のファンがどれだけいますか。涙を流してない人はどれだけいますか。納得できている人はどれだけいますか。
反対にきちんとお祝いできていないファンが何人いるか想像できますか。悲しくて泣いているファンは何人いると思いますか。納得のできてないファンがいないと思っていますか。
大好きな大好きな人の大切な大切な一生に関わることだからこそ本人から知りたかった。
私だって素直に笑顔で泣きながらでも
〝結婚おめでとう!〟
って言いたかった。
今までの報道を見てきて少しずつ受け入れてこれてたと思ってた。きっと結婚報告があったら笑顔で伝える!って必ず決めてたのに。
そんなの無理だった。今でも涙が止まらないし受け入れることはできてない。
きっとどれだけ世間で貴方が二宮和也の妻だと言われようとも私の中で貴方は二宮和也の妻の欄にはいない。私はきっとどれだけおしどり夫婦になろうと、どれだけテレビで話題になろうと、コンサートで話をされようとも貴方を二宮和也の妻だとは認めない。
もしもの話をしよう。
もし貴方が匂わせの写真を開けなかったならば。
もしあなたがもう少しでもファンのことを気づかえていたならば。
もし全ての情報が本人の口から聞けていたならば。
私はきっと貴方との結婚を笑顔で大きな声で
〝おめでとう!〟
と伝えることができただろう。
┈
これは当時の私が涙を流しながら書いた文章である。メモ帳にあったものをそのままコピーしたため日本語のおかしい所などが多々あるがご了承いただきたい。そのぐらい感情がぐちゃぐちゃだったのである。結局あの日は満足に寝れず次の日はいかにも泣きましたの顔で講義を泣きながら受け、その後2,3週間はふとした瞬間に涙を零していた。
さてこの事を書いてから約半年以上たった今現在の私の感情がどうなっているかと言うと…
まだ彼女のことを受け入れられていない。むしろ、二宮和也は独身である。
そう考えている。流石に半年経ったら受け入れているだろうと思っていた私。無理だった。むしろあの頃のメモを読んで共感でしかできなかった。何一つ私の中で変わっていなかった。
確かに、二宮和也は男として1つのけじめをつけた。それはかっこいいと思う。だか、どうしてもその相手とそこまでの過程が許せなかった。ただその2点だけが私の中で未だに燻っている理由でもある。
上のメモは当時ツイートしたため大きな共感を得た。それは僅かながらでも私の心を癒してくれた。反対に色々言われたことも勿論ある。ファンでない人の中には「なんでファンなのに結婚おめでとうって言えないの?」「結婚祝えないなんてファンじゃない!」「アイドルって偶像じゃん?結婚ぐらいするよ」などなど多くの意見、批判をいただいた。どのリプにも全部返信した。中には「なるほど。ファンにしか分からないことがあるんですね。」そう言って納得してくれた方もいた。
«ファンにしか分からないこと»
この点は意外と重要である。ただテレビの中で耳にする、目にするぐらいの感覚でいる人と彼らのことを好きで好きで録画して何回も見直してCDを買って「この声あの人だ!」「ここの歌詞いいな!」と言い合い、DVDが出れば即予約に行き「うわ!この衣装やば!!」「え?このダンスどんな動きしてんの?」「はぁ!遠いけどここにいる!彼が映ってる。」なんて1人で言いながら何回も何回も見直してTwitterで共感して、コンサートが決まれば何ヶ月も前から当選祈願をして当たって涙を零し、外れて涙を零しそんな情熱を彼らに向けてきた人の感情が一緒であってたまるか。人生のほんの一部でも彼らに捧げ続けた、捧げ続けている人の気持ちがそんなに簡単にわかってたまるか。私はそう思う。
これらの事はスポーツ、ゲーム、仕事など様々なことに当てはまると思う。仕事に例えるとわかりやすいだろうか。あなたは10年その会社に勤めずっと同じ部署で昇進し続けてきた。そんなあなたが提案したことに対して大卒の入社してまだ1日ぐらいの新人に「それは違うくないですか?こうですよね。」と言われてみろ。その時あなたは「確かに!そうだね!ありがとう。」と何も思わずにいられるか?絶対「はぁ?なんなんコイツ。なんも知らないくせに、口つっこむなや」ここまでは思わないかもしれないが不快な気分にはなるだろう。
それと同じだ。ファンの人間からするとTwitterは自分の好きな人のことをただ呟き同意してくれる人がいたらいいな。共有したいなぐらいの手軽さで用いている。そんな所に何も関係ない人が入ってこられるととても不愉快である。勿論ツイートに対する「んー。ここはこう読み取れたんだけどあってるかな?」「僕はこう思うんだけどどうかな?」そんなツイートならまだいい。「ファンのくせに」「ファンなら」そんな事を何も知らない今のTwitterでの彼らの情報しか知らない奴にそんなこと言われたくない。そんなの送ってくるなと思う。
今これを読んでいる人はそんなリプ送ってないですか?送られてきた側からすると「彼らの生きてきた世界のこと何も知らないくせに急に何なのこいつ」そんな事を思って、内側に隠して返信していますよ。
さて、当時そんな人間が沢山いたわけです。(今も沢山いますね。ツイート見返してみてください。)悲しい気持ちを吐き出して何とか乗り越えようとしている人たちに向かって何も考えず送り付けていた人たちがいたのです。そんな人達に潰されたり、結局受け入れることが出来ずあの日から私の周りで二宮和也からバイバイした人を沢山目にした。中にはとても仲良くしてくれていた子もいた。それだけ彼の結婚が与えたショックは大きかった。
「2020年を終わりとしこそ以降は活動停止」を待っていた私たちにとってあまりにも酷な結婚報告であった。何なら20周年のアニバーサリーツアーがまだ途中でオーラスに向けて盛り上がっていた時期だったので余計にショックは大きかった。
未だに燻っている私がいつか笑顔で彼らに
「結婚おめでとう!幸せになってね!」
そう言える日が来るのだろうか…
多分一生来ないか来るとしてもそれは彼らから大きく離れるような事があった時だと思う。