tadanotakudayo’s diary

ただのそこら辺にいる嵐と関ジャニ∞オタクが書くブログ

21年目の彼ら

                   今から21年前の1999年9月15日

 

 

 

日本からは遠く離れた南の島近くの海上

 

 

 

まだ幼さが残った5人が

 

 

 

世界のてっぺんを目指そうと

 

 

 

輝き始めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らに出会ったのはもう10年以上前の今でも放送され続けている音楽番組をふと見た時だったと思う。

それまで華やかな世界には興味がなく本ばかり読んでいた私には

 

歌って

 

踊って

 

トークが上手い

 

そんな彼らは輝いて見えた。

当時人気が再び右肩上がりになっているような年だったと思う。周りには誰も彼を知っている人がおらず、テレビや雑誌をみて読んでひたすら情報を手に入れ追っかけていた。

 

私の小学生時代は午後9時には布団へと言うルールがあったので(私自身それまで苦ではなかった)中々彼らの深夜帯番組を目にすることは無かった。

数年後には家に録画機があったので片っ端から彼らの出る番組を録画してはずっと日がな1日見ていた記憶もある。

 

それから小学校4年生ぐらいの時は某48人組にうつつを抜かすこともあったがそれでも彼らの追っかけをやめることはなかった。

 

初めて手にすることのできた彼らの発売していたものでは5×10だった。

今でも忘れることの無い、小学校6年生のクリスマスプレゼントにサンタさんから貰ったものだった。

朝起きて枕元に彼らのDVDジャケットを見た時は朝から叫び2階から駆け下りそのままデッキに入れずっとそれこそ親に怒られるまでみていたものだ。

 

それからはお金を工夫して中古から新品まで色々買い漁ったものだ。

ファンクラブは親にダメ!と言われていたため高校に入るまで我慢したものだ。

 

 

 

中学に入るとオタクの事を馬鹿にされるようになりそれが彼らのことを悪く言われているように感じ隠すようになった。それでもそれでも私は彼らのことが大好きで嫌いになるなんて考えられなかった。

 

そして、彼らもまたテレビの中で輝き続けていた。

 

 

 

高校に入って彼らの事で親友と呼べる友達ができ、訳の分からないようなテストを乗り越え、気の合わない人と会っても笑顔でそっと受け流しまさに生活の一部に彼らは根付いていた。

 

 

大学に入りバタバタして中途半端な追っかけしかできないのに諦められず買う、録画だけして溜まっていた。それを夏休みに見たときは涙が止まらなかった。

だってそこには

 

 

 

 

変わらずに仲良く5人で笑う彼らがいたから

 

 

 

 

 

 

彼らは黄金世代と呼ばれるほど人気があった時代を生き抜いてきた。

それこそ色々書かれ、潰され、後ろ指さされそれでもそれでもメンバーの言った

 

「てっぺんとるって夢叶えようね」

 

をただひたすらがむしゃらに幼児の本能の様に走り続けてきた。

 

そんな彼らが1度足を止めようとしている。

一番最初の走り始めを目にすることはできなかった。

 

だから今度の再スタートの走り始めを必ず目に焼き付けたい。

彼らは5人だからこそ21年やってこれた。

 

なら22年、23年…できないわけじゃない。

今度は5人じゃなく個々でその年数を刻み力をつけていくだけだ。

 

それこそ彼らの力に、輝きに、てっぺんを取るために必要なことなのだろう。

 

 

21年目の9月15日を祝えることを心から幸せに思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らを好きでよかった。

 

 

5人が5人でよかった。

 

 

 

 

〝音と言葉つむぎ描く芸術  

いままでもこれからもこのメンツです〟