tadanotakudayo’s diary

ただのそこら辺にいる嵐と関ジャニ∞オタクが書くブログ

21年目の彼ら

                   今から21年前の1999年9月15日

 

 

 

日本からは遠く離れた南の島近くの海上

 

 

 

まだ幼さが残った5人が

 

 

 

世界のてっぺんを目指そうと

 

 

 

輝き始めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らに出会ったのはもう10年以上前の今でも放送され続けている音楽番組をふと見た時だったと思う。

それまで華やかな世界には興味がなく本ばかり読んでいた私には

 

歌って

 

踊って

 

トークが上手い

 

そんな彼らは輝いて見えた。

当時人気が再び右肩上がりになっているような年だったと思う。周りには誰も彼を知っている人がおらず、テレビや雑誌をみて読んでひたすら情報を手に入れ追っかけていた。

 

私の小学生時代は午後9時には布団へと言うルールがあったので(私自身それまで苦ではなかった)中々彼らの深夜帯番組を目にすることは無かった。

数年後には家に録画機があったので片っ端から彼らの出る番組を録画してはずっと日がな1日見ていた記憶もある。

 

それから小学校4年生ぐらいの時は某48人組にうつつを抜かすこともあったがそれでも彼らの追っかけをやめることはなかった。

 

初めて手にすることのできた彼らの発売していたものでは5×10だった。

今でも忘れることの無い、小学校6年生のクリスマスプレゼントにサンタさんから貰ったものだった。

朝起きて枕元に彼らのDVDジャケットを見た時は朝から叫び2階から駆け下りそのままデッキに入れずっとそれこそ親に怒られるまでみていたものだ。

 

それからはお金を工夫して中古から新品まで色々買い漁ったものだ。

ファンクラブは親にダメ!と言われていたため高校に入るまで我慢したものだ。

 

 

 

中学に入るとオタクの事を馬鹿にされるようになりそれが彼らのことを悪く言われているように感じ隠すようになった。それでもそれでも私は彼らのことが大好きで嫌いになるなんて考えられなかった。

 

そして、彼らもまたテレビの中で輝き続けていた。

 

 

 

高校に入って彼らの事で親友と呼べる友達ができ、訳の分からないようなテストを乗り越え、気の合わない人と会っても笑顔でそっと受け流しまさに生活の一部に彼らは根付いていた。

 

 

大学に入りバタバタして中途半端な追っかけしかできないのに諦められず買う、録画だけして溜まっていた。それを夏休みに見たときは涙が止まらなかった。

だってそこには

 

 

 

 

変わらずに仲良く5人で笑う彼らがいたから

 

 

 

 

 

 

彼らは黄金世代と呼ばれるほど人気があった時代を生き抜いてきた。

それこそ色々書かれ、潰され、後ろ指さされそれでもそれでもメンバーの言った

 

「てっぺんとるって夢叶えようね」

 

をただひたすらがむしゃらに幼児の本能の様に走り続けてきた。

 

そんな彼らが1度足を止めようとしている。

一番最初の走り始めを目にすることはできなかった。

 

だから今度の再スタートの走り始めを必ず目に焼き付けたい。

彼らは5人だからこそ21年やってこれた。

 

なら22年、23年…できないわけじゃない。

今度は5人じゃなく個々でその年数を刻み力をつけていくだけだ。

 

それこそ彼らの力に、輝きに、てっぺんを取るために必要なことなのだろう。

 

 

21年目の9月15日を祝えることを心から幸せに思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らを好きでよかった。

 

 

5人が5人でよかった。

 

 

 

 

〝音と言葉つむぎ描く芸術  

いままでもこれからもこのメンツです〟

褒めて伸びる子

最近みなさんはどんな怒られ方をしましたか?そもそも怒られましたか?

 

 

社会に1歩出れば色々な年代の人、考え方が違う人、育ってきた環境が全く違う人ばかりです。

 

 

なので、怒り方1つとっても多種多様にあります。

 

やったことに対して全否定をする人

 

こんこんと理論詰めでこれがこうだったからここが間違ってるよと説明しながら咎めてくれる人

 

ここはできてるね!でもここを直したらもっと良くなるかもと褒めながら怒ると言うよりはより良い方向に持って行ってくれる人

 

 

よくわからん持論で怒る人

 

八つ当たりで怒る人

 

 

世の中には人の数だけ怒り方があると言っても過言ではないでしょう。

 

では、みなさんはどのような怒り方をしますか?

なぜその怒り方をしますか?

 

 

 

自分がそのように言われて育ってきたからですか?

自分がそう言われたらやる気が出るからですか?

それとも何となくですか?

 

これもまた様々な理由があると思います。

 

 

今回は私が怒られたことについて少し少しだけ納得がいかないのでここに書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

私は小学生の頃から人の命に関わる仕事がしたいと思い看護学生になりました。

最近コロナが流行したことで今年あった実習は病棟で患者さんと向き合って行うことはできず、全て紙の事例と向き合うことになりました。

 

行う実習の科によっては学校にある物品を用いてシュミレーションのようなことをします。

 

 

私は「できていることをいいね!と褒められながらあ。ここ足りてないから付け加えといて」という褒めて褒めてより良い方向に持って行ってくれることと「勉強法がダメ」と全否定されることを1日で経験しました。

 

 

 

 

・褒めてより良い方向に持って行ってくれる

 

世の中自分のこと、自分がやってきたことなどを褒められて嬉しくない人は余りいないと思います。私も扱いやすい人間でして褒められたら嬉しくて次も頑張る。やる気が出るタイプの人間です。

 

紙の事例に対し自分がどういった情報からどう考え、看護はどのようなことを行うのが良いかを紙に書き出して、それを先生の前で読みながら評価してもらうことを行いました。

 

正直、自分でももっと見落としが何かあるんやないかと思いながら発言していましたが、先生の口から出てくる言葉は「いいねいいね!」「よくできてるじゃん。」「そこも考えられたん!すごいじゃん!」そんなプラスなものばかりでした。

間違っているところや足りないところもあったのでそういった所は「あ。ここちょっと書き直した方がいいかも。ーな感じで」と具体的に何が間違っていてだからどうしたらいいのかを質問形式で問いかけられながら答えそれを先生がまとめた形で修正点としてあげてくれました。(例えば、「1日の新生児の哺乳量の計算式は?」「そうだね。そのアセスメントはどうかな?」「うん。あってるじゃあそれをここにまとめといてね」)

このように答えを全部言う訳ではなく道筋を照らしてくれるようなライトのようでした。

 

 

怒られたわけでもなくむしろ褒められてばかりだったので「よし。家に帰ったら書き直そう。よりいいものを作ろう」と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな単純な人間に悲劇が始まったのは午後からの実習でした。

 

 

 

 

午後の実習では物品を用いながらシュミレーションを行いました。

 

 

 

私はFHRモニタリングの機器の装着を行ってくださいと言われました。(FHRモニタリングの機器では胎児の心拍、子宮収縮、胎動などを計測することができるものです。)

 

 

 

事前にノートの課題があったのでそれの通りに声掛けを行いながらやっていきました。

途中で「しまった。順番を間違えた」と思いながらも最後までやりきりました。

 

その後ペアだった人の別のシュミレーションをみながら待っていました。

 

その後、それぞれのできたことをきかれました。それに答えたあと何を言われたかというと「全然だめ。イメトレできてなさすぎ。何を勉強してきたの?」そういったことを言葉を変え2、30分ほどずっと言われ続けました。

 

 

その後、母子健康手帳を受け取り内容についてアセスメントしてと言われ20分考える時間をもらいました。

 

それから1人ずつ先生の所に行きどういった所が問題でどこは正常だと考えたのか説明していきました。

 

 

(ここから先私はインプットは得意だがアウトプットには時間がかかることを念頭に置いておいてください。)

 

 

 

私はこう思います。と伝えたら「え?なんで?それ問題かな」と言われました。なのでなぜ問題だと思ったのか伝えると「それより問題な所あるよね」と意見は一蹴されました。

 

他の点についても「〜だと思いました。」「この基準値は?」「えっと…ーです。」「ちがう。」(えっ。だったらこっちか)「ーです。」「ちがう。じゃあ次の問題」

 

 

と何が間違っているか何が正しいかも分からず報告だけが進んでいきました。

 

先生からの私に対しての評価は「何を今まで勉強してきたの?」「テンプレだけ覚えてるんじゃダメ」「勉強の仕方下手くそ」「証拠はなに?それも覚えてないの」などなど否定されてばかりでした。

とどめの一言は

 

 

 

 

「今までの勉強全部無駄」

 

 

 

でした。さすがの私でも泣きました。今まで付き合ってきた勉強は全部無駄でその無駄で乗り越えてきたテスト、受験も全部無駄でじゃあ私は何を学んできたんだ。そもそも私にあったやり方でやってきたはずなのにそのやり方すら知らない先生になぜ否定されねばならない。看護学生で今は母性の実習をしているが同時にほかの科の実習課題もやって先生たちみたいに毎日専門的に勉強ができているわけではない…などなど言い訳も思い浮かべながら「すみません。はい。すみません。はい。」をずっと言っていました。

 

 

午前中に出てきたやる気など底辺を突き抜けむしろ何もしたくない考えたくない状態になりました。

 

 

それでも、実習中でしたのでやるべきことはやってきました。

 

 

家に帰って「確かに聞かれて言葉にできないのはうまく自分の中で結びつけることができてないからだな。」「こうだからこうという考え方をしたつもりだが逆にすると中々出てこないな」「自分のやってきたこと無駄なのか…」「そもそもなんで自分看護の勉強してるんだろ」「なんで勉強してるの」「勉強したくない。でもしないと生きていけない」「ならいっそ…」とまで思いましたが、次の日の新聞の見出しに「怒られたため自殺か?」なんて見出しがつくかもしれないと思いやめました。

 

 

ふて寝をしてとりあえず気持ちをリセットしましたが、未だにぐるぐるしています。

 

 

 

 

 

みなさんは怒ること褒めることに大きな違いがあることはご存知だと思います。

もちろん私がこのまま職業に就くとしたら人の生命に関わる訳ですから怒られることは右肩上がりだと思います。社会に出ても褒めて欲しいなんて思うことがあまっちょろいことだとも分かっています。

 

ですが、私も人間です。全部否定されて怒られてばかりだと沈みます。あなたの前に立つと萎縮します。あなたの前で声が出せなくなります。皆の前で声が出せなくなります。人の目にうつるのも嫌になります。酷い時は自ら…ということも有り得るでしょう。

反対に1つでもどんな小さなことでもいいんです。褒めてもらえるとよし頑張ろうって気持ちになるんです。

 

怒る時に全部否定して、放置することは

 

 

1寸先も見えない闇の中に放置することと同等である

 

 

ということを頭の片隅において置いてください。学生、新人だからこそ手を伸ばして道筋を照らして欲しいんです。野球の会場のように全方向から全てを照らしてくれとは思ってません。田舎の道にあるような要所要所にある街灯の感じを思い浮かべてください。

そんな感じでいいんです。時たますくい上げてくれればやる気出ます。自分でそのくらい出せやと思われるかもしれません。

怒られた後に自分でやる気を出せる人はあまりいないと思います。周りの人がそれとなくいい所を褒めてあげてください。

 

 

 

全部一人で1からできる。すごいと思います。でも、専門の道に初めてたった人は実地をした事がなく実地では自分の想像したこと以上のことが起こります。全部一人で1からできません。できている所を褒めてください。もっと自分でやるようになります。

 

 

 

あなたはそうやって育て、扱きあげられてきたかもしれません。しかし、時代は変わります。人も変わります。人に合う合わないだってあります。その人に合ったやり方はその人にしか分かりません。そのやり方すらを全否定するのはやめてくれ。メンタルやられるから。いや冗談抜きで。

 

 

 

私が実技終わって思ったこと教えてあげようか?

 

 

「今後この先生と講義で関わることないし、この科に進む気もないからもういいや」

 

 

だよ?褒めてたらあ。もっと勉強しようかなって思ってたかもしれない人の道を1つ潰したよ先生。よかったね。勉強下手くそな私がその道に進まなくて笑

(案外新生児の勉強とかは面白かったし、興味深かった。覚えることめちゃくちゃあったけど)

 

 

あ。ちなみに1年前にもこの先生に勉強の仕方全否定されて再試うけてる。

ほんとこの先生の言い方は私のメンタルゴリッゴリに削るだけだ。

ワイを褒めてくれ!!!!!!!!!!!!!

嘘でもいい。(バレないようにしてね♡)

なんでもいいからわいを褒めて!!!!!!!!

 

 

何か最初に思ってた結論に持っていけなかったけど最後まで読んでくれた人ありがとう。

色々思うことあると思うけどわいは褒めて伸ばして欲しいよってことです。

 

わいは自分にやられて嫌なことはしないように気をつけているのでめちゃくちゃ褒めるしできたら一緒に喜ぶ😊(たまに失敗するけど人生失敗だらけと思っているので次に生かす!!)

5人になった彼ら

さて今回は西の彼らに焦点をあてて話そうと思う。

 

皆さんはご存知だろうか«関ジャニ∞»というグループを

今となってはほとんど知らない人はいないだろう。

では、彼らを知っている人たちの中でデビュー時は8人であったこと、年上3人はJr.時代が長く売れ残りなんて言われていたことを知っている人は何人いるのだろうか…

 

 

 

彼らはデビューする前から東のJr.たちと比べられ続け泥臭く誰も通りたくないような茨の道を彼ら自身の手で開き、進み続けた結果が今に現れている。

 

 

今日は彼らのデビューなどについて話す訳では無い。ついこの前開催されたSmileUpProjectでのコンサートに関する私の思ったことを書こうと思う。

 

 

 

彼らが8人から7人、7人から6人、6人から5人と段々人数を減らしながらも一切止まることなく活動してきた。

私はそんな彼らが5人になって7人時代、6人時代の曲を歌っている姿、声を初めてみて聴いた…

 

 

今もiPhoneで流れる曲の中には活動期間の長い7人時代の曲が多く入っている。そのためイントロが流れた瞬間「歌い出しは亮ちゃんだな」「次歌うのはすばるくんだな」そんな事を無意識に思ってしまう。それはしょうがないことでしょ?

 

 

だって彼らは7人いて輝いていたんだから。

 

 

6人になったから輝いていない訳では無い。

5人だから輝きがにぶった訳でもない。

 

 

私が7人の声が、ダンスが、関係性が好きすぎただけなんだ。(8人時代も彼らのそれぞれの輝きがあって好きです。)

 

 

 

それを目の当たりにしてしまった私は涙が止まらなかった。

 

すばるくんや亮ちゃんのアルバムは買った。DVDとかYouTubeでの活動もみた。彼らは居ない。5人で歩み始めて、走り始めている。理解できて納得できているつもりだった。

 

ただ、5人で7人の時の曲を歌っているのを観るのは初めてだった。

全然納得できていなかった。なんでなんでここに彼らはいないの…約30分の中で何度思ったことだろう。

その時気づいた。あの二人の活動を関ジャニ∞に所属しながらもソロ活動を行っていると心の片隅で思い込んでいる自分がいたことに…

その時は自分に絶望した。音楽をやりたくて、自分の道を進みたくて自分の家族より多くの時間を過ごした心の底から安心できる居心地のいい場所から自ら羽ばたき大きな世界に挑んで行った彼らを応援できていなかった自分に…

 

 

だから今度こそ7人の彼らとはバイバイ!ありがとう大切な思い出を…と決別し、大切におもちゃ箱に入れておきたい。

そして5人になって足並みを揃えて走り始めた彼らと共に歩んで行けるよう彼らと向き合っていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うっとりと聴き惚れてしまうような伸びやかな歌声、明るくクシャッとした笑顔、小さいながらにも大きな背中を見せ続けてくれた素晴らしい赤色の君

歌によってコロコロ変わる変化自在な歌声、へにゃっとした笑顔、甘えてばかりかと思えば音楽に関して、グループに関して一切の妥協を許さない果敢な黄色の君

 

 

ありがとう!大好きだったよ!きっとこれからもあなた達の音楽を愛し続けるよ。

勿論あなた達が大切に大切に守ってきてでも、どうしてもと手放してしまった5人のことも愛し慈しみ続けるよ。

 

 

 

音楽を愛する君に幸あれ…

2019.11.12の夜

┈┈あの日の衝撃を覚えておられるだろうか

 

忘れもしない、忘れることのできない2019年11月12日の夜のことを…

 

あの日私は普段通り、溜まりに溜まった課題をこなしていた。シャーペンの音と課題をする時に流すトップアイドルである彼らの音楽しか流れていないそんな夜だった。

 

その夜突然「ピコン」とメールを受信した音が鳴った。ついでに一息しようとメールを開きファンクラブのページでとあるメッセージを読み始めた時に私の昏い昏い夜が始まった。

 

 

 

 

今更になるが簡単な私の説明をしよう。

私は地方に住むジャニオタ(ジャニーズオタク)である。好きなグループはなかなかにおっさんなのに顔が良すぎる嵐と関ジャニ∞である。特に好きなのが櫻井翔さんと横山裕さんである。

そんな私がある1人の結婚について約半年経ったために気持ちの整理も兼ねてここに記そうとしている。(以下敬称略)

 

 

 

 

 

ときは遡ること約半年前、2019年11月12日の23時3分嵐のファンクラブから1通のメールが届いた。内容は遅い時間にメールを送ることの謝罪と二宮和也からメッセージがあることが書かれていた。正直、ここで少し嫌な予感はしていた。それでも、何か大事でもあったのかと心配になりながらファンクラブのページを開きそのメッセージを読んだ。

 

 

 

私はスマホを手から落とした。数分間頭の中は真っ白になっていた。頭が言葉を読み込み始めたのは外で救急車のサイレンの音がした時だった。そこで私は深く考えることを1度やめて、とりあえず色々な情報を入手しようとTwitterを開いた。そこには受け入れたくないことばかりがうつされていた…二宮和也結婚、ニノ結婚、トップアイドル結婚などなど様々な言葉が飛び交っていた。

 

 

私はそれを見るのさえ辛くなり1度Twitterを閉じてメモ帳を開いた。そこに書いたのは以下の通りである。

 

 

貴方に二宮和也の妻になる自覚本当にありましたか。

貴方が過去にやってきた行動にどれほど影響があったか覚えていますか。

それに対して貴方はどんなことを思ってきましたか。

匂わせのニュースの時は「ファンにバレちゃった」そんな気持ちで終わらせていませんでしたか。

度々でた記事に対して「あちゃー。また撮られちゃった」そんな軽い気持ちでいませんでしたか。

 


貴方のここ数年の行動は1度でも嵐ファンの、二宮和也が大好きな人達のことを考えて起こしていたことですか。

貴方がはやくはやく二宮和也を自分だけの人間にしたいがためにとってきた行動ではありませんか。

二宮和也の職業を真剣に考えて向き合ってきましたか。

私には「考えた。向き合った。」そう言われても信じることができません。だってあなたが起こしてきた行動は何一つとしてそうは見えなかったから。

二宮和也は嵐でジャニーズでアイドルで俳優でモデル...沢山のことをこなしています。

そんな二宮和也に救われた人だっているのです。人生全てを二宮和也に捧げた人さえも周りにはいるのです。大袈裟って思いますか。そんなことはありません。だって貴方にだってきっと救ってくれた人がいるでしょう。その人のことすごく大切でしょう。それと同じですよ。

アイドルってあんまりプライベートがみえるの良くないんです。夢を与える仕事でしょう。常にアイドルでいろとはファンも求めません。でも、でも、だからこそ大切なことは本人の口からだったり、直筆メッセージだったり、事務所からだったり間違った情報が混ざらない所からしりたいんです。

でも、貴方はそんなファンの心を踏みにじった。そりゃね、恋人があの嵐の二宮和也ってなると自慢したい気持ちもわかります。でも、だからこそ間違った情報やあやふやな情報が流れちゃいけないんです。貴方がしてきた行動はファンを馬鹿にする行動ですよ。たとえ貴方がそうとは思ってなくてもね。現に素直に貴方と二宮和也の結婚を祝っている嵐ファンが、二宮和也のファンがどれだけいますか。涙を流してない人はどれだけいますか。納得できている人はどれだけいますか。

反対にきちんとお祝いできていないファンが何人いるか想像できますか。悲しくて泣いているファンは何人いると思いますか。納得のできてないファンがいないと思っていますか。

大好きな大好きな人の大切な大切な一生に関わることだからこそ本人から知りたかった。

 


私だって素直に笑顔で泣きながらでも

 


〝結婚おめでとう!〟

 


って言いたかった。

今までの報道を見てきて少しずつ受け入れてこれてたと思ってた。きっと結婚報告があったら笑顔で伝える!って必ず決めてたのに。

 


そんなの無理だった。今でも涙が止まらないし受け入れることはできてない。

きっとどれだけ世間で貴方が二宮和也の妻だと言われようとも私の中で貴方は二宮和也の妻の欄にはいない。私はきっとどれだけおしどり夫婦になろうと、どれだけテレビで話題になろうと、コンサートで話をされようとも貴方を二宮和也の妻だとは認めない。

 


もしもの話をしよう。

もし貴方が匂わせの写真を開けなかったならば。

もしあなたがもう少しでもファンのことを気づかえていたならば。

もし全ての情報が本人の口から聞けていたならば。

 


私はきっと貴方との結婚を笑顔で大きな声で

 


〝おめでとう!〟

 


と伝えることができただろう。

 

これは当時の私が涙を流しながら書いた文章である。メモ帳にあったものをそのままコピーしたため日本語のおかしい所などが多々あるがご了承いただきたい。そのぐらい感情がぐちゃぐちゃだったのである。結局あの日は満足に寝れず次の日はいかにも泣きましたの顔で講義を泣きながら受け、その後2,3週間はふとした瞬間に涙を零していた。

 

 

 

 

さてこの事を書いてから約半年以上たった今現在の私の感情がどうなっているかと言うと…

 

 

 

まだ彼女のことを受け入れられていない。むしろ、二宮和也は独身である。

 

 

 

 

そう考えている。流石に半年経ったら受け入れているだろうと思っていた私。無理だった。むしろあの頃のメモを読んで共感でしかできなかった。何一つ私の中で変わっていなかった。

確かに、二宮和也は男として1つのけじめをつけた。それはかっこいいと思う。だか、どうしてもその相手とそこまでの過程が許せなかった。ただその2点だけが私の中で未だに燻っている理由でもある。

上のメモは当時ツイートしたため大きな共感を得た。それは僅かながらでも私の心を癒してくれた。反対に色々言われたことも勿論ある。ファンでない人の中には「なんでファンなのに結婚おめでとうって言えないの?」「結婚祝えないなんてファンじゃない!」「アイドルって偶像じゃん?結婚ぐらいするよ」などなど多くの意見、批判をいただいた。どのリプにも全部返信した。中には「なるほど。ファンにしか分からないことがあるんですね。」そう言って納得してくれた方もいた。

 

«ファンにしか分からないこと»

 

この点は意外と重要である。ただテレビの中で耳にする、目にするぐらいの感覚でいる人と彼らのことを好きで好きで録画して何回も見直してCDを買って「この声あの人だ!」「ここの歌詞いいな!」と言い合い、DVDが出れば即予約に行き「うわ!この衣装やば!!」「え?このダンスどんな動きしてんの?」「はぁ!遠いけどここにいる!彼が映ってる。」なんて1人で言いながら何回も何回も見直してTwitterで共感して、コンサートが決まれば何ヶ月も前から当選祈願をして当たって涙を零し、外れて涙を零しそんな情熱を彼らに向けてきた人の感情が一緒であってたまるか。人生のほんの一部でも彼らに捧げ続けた、捧げ続けている人の気持ちがそんなに簡単にわかってたまるか。私はそう思う。

 

これらの事はスポーツ、ゲーム、仕事など様々なことに当てはまると思う。仕事に例えるとわかりやすいだろうか。あなたは10年その会社に勤めずっと同じ部署で昇進し続けてきた。そんなあなたが提案したことに対して大卒の入社してまだ1日ぐらいの新人に「それは違うくないですか?こうですよね。」と言われてみろ。その時あなたは「確かに!そうだね!ありがとう。」と何も思わずにいられるか?絶対「はぁ?なんなんコイツ。なんも知らないくせに、口つっこむなや」ここまでは思わないかもしれないが不快な気分にはなるだろう。

 

それと同じだ。ファンの人間からするとTwitterは自分の好きな人のことをただ呟き同意してくれる人がいたらいいな。共有したいなぐらいの手軽さで用いている。そんな所に何も関係ない人が入ってこられるととても不愉快である。勿論ツイートに対する「んー。ここはこう読み取れたんだけどあってるかな?」「僕はこう思うんだけどどうかな?」そんなツイートならまだいい。「ファンのくせに」「ファンなら」そんな事を何も知らない今のTwitterでの彼らの情報しか知らない奴にそんなこと言われたくない。そんなの送ってくるなと思う。

今これを読んでいる人はそんなリプ送ってないですか?送られてきた側からすると「彼らの生きてきた世界のこと何も知らないくせに急に何なのこいつ」そんな事を思って、内側に隠して返信していますよ。

 

 

 

さて、当時そんな人間が沢山いたわけです。(今も沢山いますね。ツイート見返してみてください。)悲しい気持ちを吐き出して何とか乗り越えようとしている人たちに向かって何も考えず送り付けていた人たちがいたのです。そんな人達に潰されたり、結局受け入れることが出来ずあの日から私の周りで二宮和也からバイバイした人を沢山目にした。中にはとても仲良くしてくれていた子もいた。それだけ彼の結婚が与えたショックは大きかった。

「2020年を終わりとしこそ以降は活動停止」を待っていた私たちにとってあまりにも酷な結婚報告であった。何なら20周年のアニバーサリーツアーがまだ途中でオーラスに向けて盛り上がっていた時期だったので余計にショックは大きかった。

 

 

 

未だに燻っている私がいつか笑顔で彼らに

 

 

 

 

 

「結婚おめでとう!幸せになってね!」

 

 

 

 

そう言える日が来るのだろうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分一生来ないか来るとしてもそれは彼らから大きく離れるような事があった時だと思う。